仙台での学び ②
今年3月に開館した気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館を見学しに行きました。
映像室では津波が目の前に押し寄せてくるような記録動画を見ることができ、また、その記録の中に子供が泣いている声も入っていて「どれだけ怖かっただろう…」と感じられました。
そこで、震災遺構として残された気仙沼向洋高校の旧校舎を見学しました。
津波の被害を受けた3階の教室には車が飛び込んでいて、この高さまで車が浮いて窓から入ってきたのかと思うと、窓と車の間に立つことがとても怖く感じられました。
見学コースには以前そこに通っていた生徒たちの普段の様子の写真も飾られていて、同じ高校生の子供をもつ親としては胸が締め付けられる思いがありました。
伝承館に行った後、岩井崎の「龍の松」と呼ばれているものを見に行きました。津波に遭いながら奇跡的に残った松の木が龍の姿に似ていることからその名前が付いたそうです。
震災から8年以上経った先月、大川小学校の多くの子供たちが亡くなったことに対する訴訟の判決が出ました。14億円以上の賠償を市と県に命じる判決でした。そこでは津波が来ることが予知できたのに行動が悪かったことだけではなく、震災前の防災への備えが悪かったという理由があったことも初めて知りました。
判決後、あらためて現地に行ってみると、お天気も良かったせいか少し穏やかな様子を感じました。
前にはなかったプランターのお花が校舎の周りに置かれていたり、慰霊碑も別のところに移されています。
地面には前に来た時以上に草が生えていて、足を踏み込むと一歩ごとに地面からものすごい数のトンボが舞い上がりました。トンボのカーテンが目の前に現れたような感じです。
穏やかな反面、校舎の目の前にある高台には「ここまで津波がきました」の目印がありました。すぐ横に小さくできた獣道のようなところを少し頑張って登れば助かったのだろうに…と、その時には津波の高さを知ることはできなかっただろうけれど、後になると手段があったことは残念でなりません。
震災は今後も大きなものが予測されていますし、水害も年々被害が大きく感じられます。
穏やかな日常であることを願って、しかし、災害対応では自分にできることを人の責任にしないよう業務の中でも伝えていきながら、毎日を大切に過ごそうと思います。

