目が悪いと脳も疲れるのですね…
息子の学校に提出する眼科検診の受診報告書を(目が悪いので毎年これを求められます)もらいに検診を受けに行きました。
息子は近視で、両目の進行速度も違うようです(これが普通なのかもしれませんが…)
両目の視力の差があって、メガネで少し調整していたのですが、さらに右目の近視が進んでメガネでも両目の視力の差が0.4も開いていました。
この差はまだまだ許容範囲だそうですが、息子が「黒板を見るのは楽だけど手元を見るときはメガネをはずさないと見えない。」と言っており、(え~!面倒くさ~(p_-))「遠くの黒板をはっきり見えるようにメガネを合わせるのか、手元の近いところにピントを合わせられるようにしておくのか、目にとってはどちらの方が近視の進行を防げるの?」と聞いていました。
『「目に負担がある方が視力が悪くなっていく」と思っているのかもしれないけれど、これは「ピントを合せなきゃいけないと働き始める脳が疲れているだけで、近視の目の視力にはどちらがより悪くしていくのか?というものではないんだよ…』とお話されました。
目が疲れたと思ったら、よく睡眠をとって脳を休めさせてあげるといいようですよ。
脳が働いて頑張っているのに「目が疲れた…」とは言うけれど「脳が疲れた…」とはあまり聞かないですよね~
この時私は目のいい自分より息子はたくさん無意識で脳を働かせているんだな~と少し不憫に感じました
私は脳の働き(無意識の分野ですね)にとても興味があり、危機管理のセミナーでも引用をしたりするのですが、ここでは目の悪いことから脳の無意識の働きについてお話を聞くことができました。
ふと、「見える」ということにとても脳が左右していることを思い出しました。
恐怖を感じると、脳は記憶を細かく覚えておこうとして、スローモーションにその場がゆっくり見えたり細かく覚えていたりします。(マトリックスの映画の銃で撃たれながら、ゆっくり銃弾が見えて、それをよけていく場面みたいに…)
これは次に同じように怖いことがあった時にきちんと対処できるために細かな情報も逃さず記憶しておこうとする働きからです。
視力が悪い、うちの息子は恐怖心を次の危険なときに活かせようとする力が弱くなるのかな~(そもそも、見えてないと恐怖心も感じられないのかもしれませんが…(p_-))と思うと、少し、危険を逃れる方法で別の力を備えておかなければいけないと思いました。…例えば、状況をすぐに近くの誰にでも聞けるようにもっと積極的に行動ができるような性格になるとか、音をすごく細かく聞き取れるように耳を鍛えるとか(ヘッドフォンで音楽をガンガン聴いて難聴にならないように?)…かな(p_-))
息子は、「目のかたさを調べます」の機械に「目が硬くて開きません!」と真面目に指で瞼を開けようと頑張って言っていました。係りの人も「力を抜いて下さい」と笑っていましたが、本当に「プシュ」っと出てくる空気が怖くて目に力が入って開かなかったようです(無意識で拒否しているのですね)
係りの人も目を開けようとサポートするのですが、あまりにも硬く閉じてしまい「この検査はやめておきましょう…。」とあきらめてしまいました
あかん…まずはちゃんと検査が受けられる…という怖がりから克服しなあかん…

