20年後には人間のする仕事は殆どなくなってしまうのか…
娘が突然「20年後には人間がする仕事の殆どはなくなってしまってるらしいよ…」と言ってきた。
「ふ~ん。…で何になりたいの?」と聞くと、「きっとなりたい仕事もみんなロボットにとられてしまうんよ…」とデザインが好きでたくさんノートに書きためているものをつかんでいうもんだから、「いやいや、ロボットにはそのノートの中のものは思いつかんと思うな~」と、いつも見たものを形に作り上げたり、忘れないようにノートに書きためたりしている努力を誉めてやろうとしたが…
「人工知能ってどんなん?」と聞かれて「全く分からん世界」としか答えられなかった
今の私の仕事もなくなるだろうか… (それが「安全な国で、みんなが強くなっている!
」ということなら嬉しいのだけれど…
)
しかし、過去の震災や事故などの経験者や、その場にいて救助した人たちの苦労を「自分の体験」として受け継いでくれる人にはロボットもかなわないと思う。
その経験から色々な温かい知恵も生まれのだし。
また、人工知能のロボットに「それは大変だったね~」と励まされても、嬉しくもなんとも感じないかな~(ロボットなら難なく生き延びられるのだろうから、上から目線に感じるかな…
)
ロボットが出来るのかもしれないけれど、「あなたにお願いしたい。」と言ってもらうのか、単に仕事をあてがわれて誰がやっても同じように業務をこなしていくのか。
後者がロボットに取られちゃう仕事で、前者が人間にしかできない仕事かな
本来は、ロボットには人間が肉体的にも厳しい介護のサポートや24時間動いている医療機関など夜間のスタッフが少なくなった施設の補充職員や危険な場所の作業などを助けて欲しく、手が足りないところを埋めて欲しいというつもりで考えられたはず。
今は、人手不足を補わないと、心からのケアが出来る「人」がきっと疲れてしまいそうなんですよね。
そんなところをロボットに助けてもらえる。そんな業務分担が20年後も必要だと思います
そしたら、20年後でも震災から立ち上がってきている日本だからこそ「心からのサポート」が出来るだろうし、今の子どもたちに「何になりたいの?」と聞いても「やりたい仕事はロボットがしちゃうから考えても仕方がない…」なんてことにはならないのかもしれない。
きっと、今、夢を持ってやりたいと思う仕事に「誰がやっても同じもの」を選ぶ子どもたちは少ないと思うから。

