「どこまでの責任を負わされるのか…」そんなことを考える前にやるべきことは?
子どものやらかした事故や認知症の高齢者が事故を起こしてしまった時に、保護者や家族が損害賠償を受け持つ裁判の判例は少しずつ変わってきて、「そこまで親は責任がないだろう…」とか「そこまで家族に責任を負わせるのはチョット…」と昔ほど「絶対親や家族が責任を取る!」ということでも無いようになっていますね。(だからと言って、ちゃんと「危ないからいけませんよ!」という注意をしなくてもよくなったわけではないのですが…)
先日、保育園児の事故について、どこまで保育士さんや保育園の責任が問われるのか?という裁判例をもとにした話を聞いてきました。
園児の何気ない行動で別の園児がケガをした場合に「保育士さんの責任」や、さらには「保育園」の責任を言われることもあります。
寝ている間に園児が息をしていない事に気が付き、その後の行動がまずかったから…とか(この判例は、確かにまずかったと思いますが…)、母親のお迎えを待つ園児がすべり台にカバンの紐を手すりに引っ掛けて窒息死した事故についても保育士の過失があると判例があります。
「保育士は親権者以上の専門的な配慮をすべき義務がある…」という判例が平成18年にあり、これが色々悩まされる文章で、危険だから遊ぶ物自体を無くしてしまったり、(公園の遊具が無くなっていくのもこのような類の責任が行政機関にあるからですが…)外で思いっきり遊ばせることも少なくなってくるのは、「何かあったら、園の責任だから…」とびくびくしてしまうことが根っこにはあるのかもしれません。
保護者には「ちょっとくらいのケガは大丈夫!」と思える人と「今、うちの子押したでしょ!危ないじゃないの!」と食って掛かってくる人もいますね。
保護者に対する精神的なフォローも園の責任という話もあります。(子どもの通う園生活の中で園児のお母さんが悩みを抱え自殺をした…という事例の話がありました)
これは保育園だけの話しでもなく、塾でも、スイミングでもありえる話しですが。
しかし、最初にお話した、子どものやらかしたことは親の責任だったり、認知症の高齢者の事故の責任を家族が引き受けるということも全部が全部そうでは無くなっているように、「できることをしている努力」が見られると、何か起こったらすぐに「責任がある!」とまでは言われないことも分かりました。
ちゃんと、危険なものを修理していたり、具合が悪そうな子どもは食事の後も吐いてしまったりしないか様子を見ておくとか、いつも、ここでこける園児がいるのであれば、そこをこけても安全なようにしておくとか、こけないような工夫をするとか…
集団生活の中で出来ることをすればよく、個別に見張りをつけられるような体制までを強制されてはいないのです。
周りがやっているような安全措置は基本的に必要ですが(物が倒れてこないようにするとか、消防の設備をちゃんとと備えておくとか…)、その場所特有の建物のつくりとか周辺の道路事情など危険がある場合の「出来るだけの努力」が見える形で取っておくことが「危険を予測した対策」で、配慮の義務を果たしていると思われるのです。
この話は災害時の「安全配慮義務」にもつながるものだと思っています。
出来る所までの努力をすることで、なんでもお金をかけて対策しなければ「どこまでも追及される」と魔物に追われるような心境にならなくてもいいということです。
講師の弁護士先生に投げかけた質問に、「どこまで?」の設定が規模や環境も違う点であやふやな点も確かにあることを教えていただきました。裁判官にもよる…ということも…(p_-)

