宮城県での学び…
東日本大震災からの学びとして、今回は今まで見るだけだったところをもう一度足を運んで「聞いてみる」ということを試みました。
5年半以上たった今でも、まだまだ被災地では昨日のように話をしてくれる方もいらして、「心に深い悲しみ」を持たれていることを再確認しました。
ある神社では神戸から勉強しに来たと話すと、奥から写真を持ってきてくれて「ここは水がたまってね~」と話してくれました。そこが私の足元の地面だと分かりました。
単なる水たまりのように見えた場所はなんと津波で5mの深さまで地面がえぐり取られていたそうです。池のようになっていたその深い水たまりの水を抜く作業の他に「ご遺体の捜索」も一緒にしていたのだと教えてくれました。地面はその後土を入れて平らにしたそうです。周りに住んでいた人は「津波危険区域」となってから高台の仮設住宅に移られたそうです。
「農業は1人では復興できないからね…」と話も聞きました。海水の塩を抜く作業に新しい土を入れること…自分のところの田んぼを早く始めたいと考えても大掛かりになることだから…
今、地元の農家さんで新しく組合を立ち上げて…ということが始まったようで、田に新しい芽が生えることも楽しみだけれど、やっぱり復興にはみんなの気持ちがまとまることが大切だと感じました。
「あの堤防から4mも水が乗り越えてきたのよ…」という話も聞けました。海の入口近くの大きな幅の広い川ではそれは恐ろしいことだっただろう…と思いました。堤防のとこまで5mはある下を流れている川がそんなに表情を変えてしまうのか…と写真や映像で見るだけではなく、実体験で津波の高さを感じました。
日和山公園の上から見た風景がなんだか明るく広がったような感じがして「前に来た時よりも随分変わったな~」と思っていたら、「半年もあると随分変わっていきまますよ」と、隣にいた人から聞くことが出来ました。
「堤防もどんどん伸びて、ふもとの敷地も宅地化されてきて片づけられた…という感じでしょ…」と。
公園からは、もう少し木が生い茂っていて見えなかったのか、ふもとにはたくさんのお墓があったことも気付きました。
大川小学校の近くに住んでいる人には、「子どもたちを早いうちに避難させなかった」という裁判をどんな風に感じているのか…も聞くことが出来ました。
すぐそばの川の水が津波で逆流してきただけではなく、反対側の山の方からも実は津波がまわりこんで流れてきていたのだそうです。小学校は津波に挟まれるような状態で逃げ場を失ったことや、「なぜ先生は子どもたちを避難させなかったのか…」ということについて、その方が知っている(多分、周りの人も知っている)「実は…」という、地元の人ならではの考えを聞くことが出来ました。(これは考えが違っている人もいるだろうから公表しないでおこうと思います。ただ、私自身の裁判の見方が随分変わりました。)
こんな風に車を止められるところに停めて、近くで見て、聞くことが出来たことで、今回は自分なりの学びとしていっぱい吸収してきました。
運転時間もかなり長く(途中止まりながら8時間!)、お昼ご飯も車の中でコンビニおにぎりを工事現場のおじさんのトラックに挟まれて済ませるなど(これも私には基地で時間を過ごしているようで、苦痛ではないのですよ)
充実した時間でした。
自分の生活やお仕事にパワーを頂いた学びとなりました。

