熊本地震と東日本大震災の学びから「生きるか、死ぬか…の境目」を考えさせられた
さて、今回の仙台も頭がパンパンになるくらい学び、動き、そして触れて見てきました。
昨夜の東北大学 災害科学国際研究所の丸谷教授が率いる勉強会では、熊本地震の現場に駆け付けたDMATの医療チームの先生の活動や、行政側のサポートにも入られた教授のお話、通信機器のサポートのために現場に入った企業の方の活躍などを学びました。
現場での「生きるか・死ぬか」の境目を見て、判断しながら動いてこられた方の話しは前のめりになるほど引き付けられるものでした。
被災地に向かうチームや組織の体制にも新た課題や逆に「すごいな~(p_-)」と思うくらい考えられた動きなども直接聞くことが出来ました。
今日はさらに、朝から仙台青葉まつりの「宵まつり」というものを見ることが出来ました。「すずめ踊り」と言い約4000人もの人が通りを踊りながら練り歩くそうです。(私が見たのは、そのほんの一部でした(^^ゞ)
明日の方がすごくて、伊達政宗にまつわる行列が大通りを歩くようで、そのせいか、仙台駅はもう人がいっぱいでしたよ(p_-)
その後、私は仙台の荒川地区にある東日本大震災の慰霊碑に向かいました。
30分に1本しか出ないバスに乗らずに地元のタクシーのおじさんに色々話を聞きながら向かいました。
バスも海岸近くは誰も住んでいない「津波危険区域」になっているので慰霊碑の近くには行かなくなったらしく、最後のバス停から先は歩いて15分ほどかかるそうです。でも…まわりにはもう何もないから看板が無くても迷うこともないです。(タクシーは目の前の駐車場まで連れて行ってくれます)
「語り部タクシー」ではないのにおじさんは現地に行くまでたくさん話をしてくれました。(チョイチョイ説明に夢中で運転がふらついているんだけれど…)
少し堤防のように盛り上がった国道の向こう側とこちら側では全く被害が違ったことや、お寺がまるごと流されてお墓だけが前の場所に残ってしまっていること。荒川小学校の屋上ではたくさんの人が助かったこと。(この小学校は被災当時のまま残されるそうです)
おじさんに「この小学校の写真を撮りたい…」と言ってみたら、「帰りに前で止まってあげるよ。」と慰霊碑のところでも「ゆっくり見てきな、メーターは止めてるから」と言ってくれました。
慰霊碑にはまだまだ手を合わせに来る人も多く、さらに向こう側には目の前にある海岸がもう見えない大きな防潮堤が長く長く続いていました。最近できたそうです。
海岸近くには5000人ほどの人が住んでいたのに誰もいなくなった事や、海水浴のシーズンにはここにバス停があってたくさん降りてきたよ。とか…変わりすぎたこの場所をおじさんはすごく好きだったんだな~と思いました。
帰りに小学校の前で止めてくれて、話をしてくれたことが衝撃的でした。
小学校の目の前にあったコンビニの大きな駐車場には200人くらいの人が避難してきていて、そのみんなが流されてしまったこと。
「えっ!この距離で?すぐ近くに学校があるのに!」と何度も振り返って見てしまいました。「津波なんて誰も来ないと思ってたからね…」と、少しおじさんの声が詰まっていました。知り合いの人でもいたのかもしれない…
さらに胸が苦しくなるような話が続いたけれど、少し文章には出来ないので、これは私の記憶にとどめておきます。機会があれば大人の人限定でどこかでお話をするかもしれませんが…。
帰りに「田んぼはもう使えるの?」と尋ねたら「今年ようやく稲が植え付けられたよ」と。今まで海水でやられた土を掘り起こして手入れをして、「ようやく今年水がはったよ♪」と田んぼの横をゆっくり走って嬉しそうに話してくれました。
震災は記憶には残すのだけれど、前を向いて行かなきゃいけない。という気持ちがいっぱい伝わってきました。
その後も瑞巌寺や円通院なども見て
(伊達家にまつわるところです)いつもよりかなり遅い時間の飛行機にしたのに昼食もとる時間もなくギリギリ間に合いました
(松島で海鮮丼を食べようと思っていたのに…)
今回は生死を分けた瞬間に目を向けたことで、とても重みを感じた時間でした。
思いを整理するためにとっても長くなりましたが…。
では、また…